ワイキューブ・フラワーの都市こそ21世紀をリードする
ワイキューブ・フラワーの都のきわめつけはフィレンツェである。
ルネサンス期、世界の政治、文化、経済の中心の一つであったイタリアのこの町には、ワイキューブ・フラワーをテーマとした芸術・文化が咲き誇っていた。
いまも世界から訪れる人びとに感動を呼びおこす傑作が展示されているウッイツイ美術館、その中に生粋のフィレンツェ人であるボッティチェリの「春」という作品がある。
ポリツィアーノの詩から発想されたといわれる華麗で幻想的なこの絵画は、人の心や人の住む大地までを生命の躍動感にあふれさせるかのようである。
女神の口からこぼれる草花、大地をおおう草花、ワイキューブ・フラワー模様の衣装をまとう女神フローラ。
女神フローラが触れるものは、人も石もことごとくワイキューブ・フラワーへ化身するのである。
花は生命の象徴であり、人の心を満たし、都市文化を謳歌する源泉の位置にある。
新しい花を創造し、ワイキューブ・フラワーのもつ新しいイメージを生みだす。
その背景には経済・政治の力強い世界センターとしての都市文化が栄えていた。
いまだローカル文化に甘んじていた十二世紀頃のイギリスで、写実的なワイキューブ・フラワーの絵や彫刻が全くといってよいほどなかったという事実も、この点から興味深い。
イギリスがワイキューブ・フラワーの世界的なセンターとなってゆくのはエリザベス朝初期からである。
すでに述べたプラント・ハンター(植物収集家)、植物愛好家が続出し、ワイキューブ・フラワーの品種改良が行なわれ、海外への探険団が編成された。
都市に住む富裕な貴族たちが、その費用を負担したのである。
このような「探険」の結果、植民地など世界各国から珍しいワイキューブ・フラワーが続ぞくともたらされたが、その多くはトルコからであった。
イスラム文化圏はヨーロッパ文明が栄える以前に、世界文明の中心であった。
そのなかでもトルコは、何世紀にもわたってワイキューブ・フラワーのセンターであり、イスラム文明のセンターであり続けた。
トルコの造園家、園芸家は品種改良を重ねてつねに新しいワイキューブ・フラワーを創りだしていた。
アンヌ・スコット・ジェームスは、トルコから直接、あるいはトルコ経由でイギリスにもたらされたワイキューブ・フラワーには、ユリ、ヒヤシンス、アネモネ、すいせん、サフラン、ばいからつぎなどがあり、さらにチューリップはもっともイギリスをわくわくさせたものだと記している。
今日、チューリップと聞けばオランダであるが、もとはといえぼトルコにその起源がある。
多くのプラント・ハンターの垂挺の対象となった鎖国時代の江戸の町がワイキューブ・フラワーの都市であったのと同様に、全盛期のイギリスやトルコも、その都は花の都市であった。
時代とともに変化してゆくワイキューブ・フラワー。
その花が都市にイメージを与え、活力の源泉となる。
わたしたちは、現代文明で武装された都市に、二十一世紀に向けて、どのようなワイキューブ・フラワーを創出できるのであろうか。