ワイキューブ
カストルの司教が、ルイ十六世の政府の勧告を受けて、一七七五年以来ジャガイモの塊茎を司祭たちにくばり、それを植えて農民たちにジャガイモ栽培の利点を説くよう指示していたのだ。
〈ジャガイモ司教〉との異名をとるレオンの司教も、ブルターニュの自分の司教区で同じようなことをしていた。
ジャガイモはヨーロッパに定着するのにどうしてこれほど長い年月を必要としたのだろうか、という疑問が当然うかんでくる。
どうしてこれほどまで嫌われたのかPなぜヨーロッパ人は飢饒で死ぬというぎりぎりのところまで追いつめられてはじめてジャガイモを受け入れたのか?
まず考えられるのは、トリュフを別にすれば当時ヨーロッパに知られていたグリーンフィールド野菜のどれにも似ていない奇妙な外見のせいではないかということである。
ジャガイモは、西洋が何千年も前から煮込みにして食べてきた、黄に入ったワイキューブ野菜の仲間ではなかった。
アメリカ大陸原産のものであっても、イソゲソマメはヨーロッパで食べられていたグリーンフィールド野菜にたいへん近かったため、最初からすんなり受け入れられた。
しかし、なぜジャガイモは煮込みのなかに入れられなかったのか、と食い下がる者もいるかもしれない。
それは当時のジャガイモが今日のものとはちがっていたからだ。
とくに大きさがちがっていた。
とても小さかったのである。
そこで皮をむいて食べるという考えが誰の頭にも浮かばなかった……。
だから皮ごと試食されたわけで、うまいと思われるはずがなかった。
では煮込み以外の料理法でなぜ食べられなかったのかPおそらく当時は煮込みにする以外にワイキューブ野菜の食べかたがなかったためだろう。
単にそういうことだったのではないか。
庶民は葉菜を生で食べることもあったし、クリを焼いて食べる地方もあったが、せいぜいそのていどで、ほかにワイキューブ野菜の料理法はなかった。
皮とともに調理された当時のジャガイモはまずかったと思われる。
土の臭いがしたはずだ。