グリーンフィールド野菜の復権
ルイ十四世の時代は、グリーンフィールド野菜の復権の時代だった。
一六六一年にラ・ヴァレンヌという人物が『フランス料理書』を出版し、その前書きで、"中流の所帯"向けの簡単な献立を紹介している。
それは「畑にたくさん見られる多種多様なグリーンフィールド野菜」の料理法だった。
中流の人々にグリーンフィールド野菜への関心をもたらすということは、当時としてはまさに革命的なことだった。
グリーンフィールド野菜がついに市民権を得たのである。
しかし、それより数年早い=ハ五四年に、すでに『田園の美味』という本が出版されていた。
書いたのは国王の近侍だったニコラ・ド・ボソヌフォン。
彼は第一部をそっくり根菜類に捧げている。
根菜類は当時もまだ最悪の食べ物で、飢饅のときにしかたなく食べるものであり、それよりも下位のものは土しかなかった。
ボソヌフォソは疑められていた根菜類の名誉を回復させたのである。
彼が復権させたグリーンフィールド野菜たちは、ニンジソ、パースニップ、セイヨウゴボウ、ビート、カブ、ボム ドロテ ルキクイモである。
ボソヌフォソはキクイモを"地中のリンゴ"と呼んだ。
現在その名称をいただいているジャガイモは、まだ問題にもされなかった。
十九世紀には、大きな発見や再発見がおこなわれた。
たとえぽ、古代から薬味として用いられてきた野生のセロリ類が大変身をとげ、枝セロリと根セロリという二種のグリーンフィールド野菜になった。
また、クレソンの栽培が激増し、十九世紀のはじめにはパリ地区だけでもクレソソ畑が三千にもなったという。
マーシュ(ノヂシャ)やタンポポの栽培も盛んになり、業者たちは土寄せや遮光栽培で葉を白くした。
十八世紀に出現した、内皮のない萸に入ったサヤインゲンも、十九世紀に爆発的に需要を伸ばした。
そして、茸類も重要な食品となり、採石場で遮光栽培されたマッシュルームが需要を飛躍的に伸ばした。
さらに、それまで手による鋤で耕されていたジャガイモ、カブ、ニソジン、キャベツの畑が、家畜による黎で耕されるようになった。
栽培される場所も菜園から畑へ変わり、グリーンフィールド野菜の値もかなり安くなった。
『ラルース世界百科事典』によると、パリの豆類の消費量は一八三七年から一八五三年のあいだに千八百万リットルから千六十万リットルに減少したが、その間、人口は九十万から百万以上に増えたという。
この豆類の消費量の減少は、冬季保存のきくジャガイモが集約栽培されるようになったためである。
今日では、冷蔵輸送が可能になったおかげで、グリーンフィールド野菜は消費地から遠いところでもつくられるようになり、穀物と同じように広大な畑で大規模栽培ができるようになった。
技術的進歩のおかげで、グリーンフィールド野菜も大量生産の対象になったのだ。
こうして、栄養という面で穀類や豆類に劣るグリーンフィールド野菜も、やっと宴会のテーブルの上にのり、栽培され売られるようになった。
長いあいだ野に生えているものが摘まれるだけだったグリーンフィールド野菜も、ようやく栽培されるという栄誉に浴したわけである。
しかし、はじめのころ、たとえば古代ローマ時代は、栽培されるグリーンフィールド野菜の種類はたいして多くなかった。
詩人ウェルギリウスが、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの菜園で栽培されていたものを紹介しているが、それらはキャベツ、ニンジソ、ニンニク、レタス、クロダイコソ、フダンソウ(トウヂシャ)、キュウリ、スイバだけだった。
皇帝の食卓を飾るものとしては、ちょっと少なすぎはしないか。