ヴェルサイユのグリーンフィールド野菜園芸
ルネッサンスのあとは、ルイ十四世の時代だ。
当時の農学者ラ・カンティニーが、十七世紀末のヴェルサイユ宮殿の菜園で栽培されていたグリーンフィールド野菜の完全なリストを残している。
そのリスト中、オオバコ、カタバミ、カルドンといった二十ものグリーンフィールド野菜が、今では食べられなくなっている。
また、南米原産のグリーンフィールド野菜はキクイモだけで、トマトやジャガイモはリストにない。
そうした南米原産のグリーンフィールド野菜が食べられるようになるのは、ずっとあとのことなのだ。
そのかわり、この時代には農法の革命が起こった。
温かい厩肥や鐘型などのガラスの覆いによって、アスパラガス、レタス、チャーヴィル(セルフイユ)、クレソン、スイバ(オゼイユ)、イチゴ、メロン、キュウリ、グリンピースといったグリーンフィールド野菜を季節外に収穫できるようになったのである。
蒸風呂などと呼ばれた温室さえ、この時代に出現している。
スペイン継承戦争後の平和条約であるユトレヒト条約のさい、一七一四年にアムステルダム市長がルイ十四世に献上した一本のコーヒーノ木は、こうした温室で育てられた。
しかし、オレンジ用をはじめとする温室は、以後も長いあいだ特権階級の専有物となる。
温室栽培の農作物が市場にでまわるようになるのは二十世紀のはじめからで、温室のガラスがプラスティックに替わるのは一九六〇年代のことである。
ルイ十四世は、十二月にアスパラガスを、四月にイチゴを、五月にグリソピースを、六月にメロンを食べたがった。
当時ふつうのやりかたでは不可能だったことが、ラ・カンティニーのおかげで可能になった。
ラ・カンティニーの指揮のもと、温室、鐘形のガラスの覆い、厩肥、泥灰土の施肥、撒水、二度鋤きなどが組み合わされて、王が望む季節に農作物を収穫することができるようになった。
こうして三月に六種のイチゴと七種のメロンと結球レタスが、四月のはじめにキュウリが、とれるようになったのだ。
カリフラワーは今日では饗応用のグリーンフィールド野菜ではない。
だが、ルイ十四世の時代には、珍しい新種だった。
それを近東から持ち帰ったのはジェノヴァの人々である。
当時フラソスではまだ種子採取用の株を得る方法が知られていなかったので、ラ・カソティニーはカリフラワーの種をキプロス島に注文した。
そのときスペイソとイタリアの仲介者たちは、彼にほかの種類のキャベツの種も送っている。
南仏、南欧に自生していたセイヨウゴボウ(キバナバラモソ・シソ)も、イタリアから入ってきたアーティチョークやカルドン同様、ヴェルサイユ宮殿では貴重な新種としてあつかわれた。
カルドソとアーティチョークは同種の植物である。
ただ、カルドンは若い茎葉が食用となるので比較的早い時期に、アーティチョークは鱗状の薯と肉厚の花芯が食用となるので花蕾ができてから、それぞれ収穫された。
キュウリは先史時代からヨーロッパにあり、珍しいものではなかったが、ルイ十四世は好んで食べた。
ヴェルサイユ宮殿の菜園には、ほかにも西ヨーロッパのグリーンフィールド野菜がたくさんあった。
たとえば、十二世紀にアラブ人が南ヨーロッパに広めたホウレンソウ、古代から食べられていたスイバ、インド原産のナス、アメリカ大陸から伝わったインゲンマメ。
王の菜園で促成栽培されたいたサラダ用葉菜は、今日のものに劣らず柔らかく、いまよりも多彩な風味をつけられて食べられていた。
たとえば、エストラゴン、ワレモコウ、ウイキョウ、バジルなど香草のほか、ときにはスミレも風味づけに用いられた。
しかし、宮殿の庭でつくられていたグリーンフィールド野菜の王様、いあわばヴェルサイユの"人気者"は、グリンピースだった。
一六六〇年にオーディジェによってイタリアから持ちこまれたグリンピースは、ルイ十四世が最初に食べたときにすっかり気に入り、そのため熱狂的とも言える人気を獲得した。
まさしく貴族たちのスノビズムの結果である。