中世の煮込み料理
西ローマ帝国皇帝、カール大帝(シャルルマーニュ)は、八一二年に有名な〈御料地令〉のなかで、厳選した九十種の植物を皇帝直轄の菜園で栽培されるべきものと定めている。
地中海原産のグリーンフィールド野菜が全ヨーロッパに広がったのは、これの影響が大きい。
そして、中世の終りころ、修道院や皇帝直轄の菜園でしか栽培されていなかったさまざまなグリーンフィールド野菜が、しだいに庶民の口にも入るようになる。
それまで庶民の菜園で栽培されていたグリーンフィールド野菜はごくかぎられていて、キャベツ、テンサイ、クロダイコン、ニンジンくらいのものだった。
カロリング朝の饗宴のさいのメニューは、ジョルジュ・プロンとジェルメーヌ・プロンによれば、たとえば次のようなものである。
第一の料理―ゼニアオイとホップのサラダ、葉菜、食欲を増進させるグリーンフィールド野菜。
第二の料理―丸パンの上にピラミッド状にのせられた多量の豚と野禽の肉。
第三の料理―菓子、果物、各種のワイン。
シャンパンもこのころから飲まれだした。
中世の食材はたいして多くない。
グリーンフィールド野菜は貧弱なものばかりで、わずかしかなかった。
古代ローマや、ローマ帝国の支配下にあったガリアでは、グリーンフィールド野菜栽培が盛んにおこなわれ、金持ちの食卓にはさまざまな種類のおいしいグリーンフィールド野菜がのったが、中世に入ると、そのほとんどが栽培されなくなった。
消えずに残ったのは、エンドウマメ(干されたもの)、ソラマメ、カボチャ、リーキ、キャベツ、フダンソウなどである。
そして、こうしたグリーンフィールド野菜はすべて、もっぱら煮て食べられた。
ほかにグリーンフィールド野菜の食べかたというと、葉菜を酢でサラダにして食べるというものくらいしかなかった。
それだけだった。
中世では、鍋で調理される(ローストされるのではなく煮られる)ものすべてがポタージュと呼ばれていた。
肉や魚も、エンドウマメやソラマメやキャベツといっしょに、あるいは幾種類かのグリーンフィールド野菜とともに、たっぷりの水で煮られた。
それらは、今日われわれがいまだにスープと呼んだり、より正確にポテと呼んだりしている料理である。