ジャガイモの旅
シャガイモはヨーロッパの北と南でささやかな第一歩を踏み出し、好機をつかんだり意外な出来事に翻弄されたりしながらジグザグの長い旅をつづけることになる。
その旅をたどってみよう。
十六世紀の末から十七世紀のはじめにかけて、すでに三人の植物学者がジャガイモのことを記述している。
一五九〇年にスイスのガスパール・ボーアン、一五九七年にイギリスのジョン・ジェラード、そして一六〇一年にフランスのシャルル・ド・レクリューズ。
しかし、それからなお一世紀以上ものあいだ、ジャガイモは珍品の域を脱しない。
当時の塊茎は小さく、味も苦くて消化しにくかったのだ。
市場や街角でも売られたが、クリのように焼くというのが当時の食べかただった。
シャルル・ド・レクリューズや、やはりフランスの農学者であるオリヴィエ・ド・セールのあとを受けて、十八世紀の末にルイ十六世の財務総監だったテユルゴが、ジャガイモの利用と栽培を拡大しようと、医師たちに調査報告書の作成をうながした。
多くのフラソス人がまだ、ブルゴーニュの人々のように、偏見をいだき、ジャガイモを貧民用の下等な食べものとしか考えていなかったのだ。
シャルル・ド・レクリューズの努力はいまだ実を結んでいなかった。
シャルル・モランは十九世紀の半ばに書いた本のなかで、シャルル・ド・レクリューズを次のような言葉で再評価した。
「この貴重な食品のたいへん興味深い歴史を書こうとすると、シャルル・ド・レクリューズの功績にふれないわけにはいかない。
彼は、新世界が旧世界に与えた最高の贈りものを広めたというただそれだけで、人類の恩人のひとりに数えられてしかるべきである。